他人を認める
以前のブログで書いたように、この2ヶ月間、怒涛の日々を過ごしていた。
6年間一緒に働いていたKさんが9月いっぱいで退職するにあたり、9/1から新しいTさんの登場。
この時期に入れ替わるのだから、とても意味があるわけで、わたしは どんな人が来てもどんなことがあっても全てを受け入れるぞ! と心に決めていた。
Tさんは感情を表に出さないタイプ。さらにマスクをしているので余計に表情が読み取りづらく、正直何を思っているのか分からない。そして、思った事をズバズバ言う、そんな人。
つまり、はっきり言って私が苦手とするタイプだ。
Tさんは今まで一緒に働いた看護師とは反応の仕方や動きが全然違うので、とてもやりづらい…
( うーん、こういう時はこう動いた方がいいんじゃないの?)
( 先生が呼んでるから早く反応してよ。)
と、心の中でTさんへのダメ出しをする私。
頭ではTさんはまだ入ったばかりだし、他の人と同じ動きを求めても無理なのは分かってるんだけど、Tさんの行動一つ一つがどうしても気になり心の中ではどんどんダメ出しするようになっていた。
もう!動きが悪すぎる。
看護師ならこうするでしょ。
看護師なのにそれはないでしょー。
と、そっちにばかり意識がいくようになった。
私からTさんに、「 ここはこうして下さい 」 と言っても、そのアナログすぎる方法に「カルチャーショックです…」とTさんは受け入れ難い様子だった。
そんなTさんの反応が、あたかも私自身が否定されているかのようにさえ、感じるようになっていた。
Tさんにどう接したらよいか、どうしたら動いてもらえるか…悩んでたところへ、講座の日がやってきた。
いつもの講座のメンバーにくわえて、以前講座を受けていた方々と皆んなで話をすることができた。
自己紹介や近況、悩んでいること、感じていること…皆んな思い思いに話した。
私は新人のTさんとの関係、教える立場である自分に自信がないこと等を話し、皆さんからの経験だったり考えをシェアする事ができた。
その時の私は、職場のやり方や私の考え方にTさんを無理矢理合わせようとしていたのだと分かった。
私はここでのやり方が一番いいと思っていたけれど、Tさんにとっては古い方法だから なんでこれをやるの? となる。
でも、無理矢理Tさんにやってもらおうとしたから反発が生まれた。
そして私は考えた。
今までやってきた方法、絶対にこれじゃなきゃいけないのかな?
Tさんが経験してきた方法や意見もいろいろ聞いてみようかな。
それを実践して仕事を見直してみると、確かに無駄なことだったり、それをする必要がなかったり…
前任者から教えられた事をただそのままにやっていただけ、という事が多いのに気がついた。
新人の立場で意見を言えるTさんがスゴイ!と思った。
私だったらなかなか、いや、絶対に言えないだろう。
Tさんの動きが悪いと感じたのは、私が望むとおりに動いてくれなかったから。
看護師ならこうするでしょ、と思うのは、私が勝手に思い描いている看護師像( 看護観 ) の押しつけだった。
さらに、私が教えるなんて…という自信のなさを隠すために、ここで一番長く働いているのは私だから私のやり方に従ってもらう、と上から目線になっていた。
ということが、自分の感情を一つずつ見ていくうちに、だんだんと分かってきた。
自分の気持ちに正直に向き合うこと。
そこに評価は要らなくて、あるがままを受け入れればいい、といつも先生から言われてきたことが、「あーこういうことなんだぁ」と理解できた。
そして、自分の気持ちが理解できてくると、相手のことを理解することもできるようになってきた。
「 私は私 」「 人は人 」
そんなふうに考えることが自然にできるようになってきた。
すると、Tさんへの見方がガラリと変わった。
私が気がつかなかった事をサッとやってくれたり、これはこうした方がいいですか?と先に聞いてくれたり…そんな事が増えた。
Tさんのことを、全然気がつかない人だと勝手に決めつけていた。
TさんはTさんなりに自分の考えで動いていたのだった。
それは、私とTさんの視点がただ違うだけ。
自分の見方だけが正しい訳ではなく、( もう正しいとかも要らない )
物事にはいろんな見方がある、ということ。
それぞれの人にはそれぞれの見方や考え方がある、ということ。
それが当たり前の話だった。
ここ最近、Tさんをはじめ、今まで私が出会ったことのない人と何人も出会わされている。
講座の先生からは、ニュータイプの人に出会わされてるね〜! と言われた。
そう、その都度勉強させられていたんだ。
今回、本当に勉強になったー。
初めて会った時はとっても変な人!と嫌悪感を抱いた人でも、今では あー、この人はこういう人だもんね〜 とネガティブな感情なく素直に受け入れられるようになってきた。
これが 他人を認める ってことか。