hiiragi2020’s blog

日々の気づきを綴る

自分の嫌な部分を認める

前回の 他人を認める 、そこに至るまでにいろいろな出来事があった。

そのことをこれから何回かに分けて書こうと思う。

 

 

10月のある日、院長から話があるからと私とTさんが呼び止められた。

「 常勤だから、定時までちゃんと居て 」と突然言われた。

この10年以上、仕事が終わったら定時を待たずに帰っていた。

先生は特にその事に関して何も言ってこなかったので、それでいいのだと思っていた。

 

常勤だから定時前に帰るな、と今さら言われたことに、無性に腹が立った。

今まではよかったのに、なんで今さら?どうしてそんな事言われなくちゃいけないの?

と頭の中をグルグルグルグル……

一緒に聞いたTさんも、「 (面接のときに) 特に時間のことは先生からは何も聞いてませんでした 」と言ったけど、「 でもまぁ、それが常勤ですからね… 」とポツリ。

 

あぁ、そっか…常勤だった…

と改めて気づかされた。

でも、長年やってきた事だったから、すぐには受け入れられなかった。

 

その翌日、私はずっと機嫌が悪く、もうどうでもいいや!こんな所なんか辞めてやる!と思っていた。

なんかもう、ずっとイライラしていた。

そして、とうとうTさんに八つ当たりしてしまった。

とても嫌な態度を取ってしまったことに、恥ずかしさと後悔でいっぱいになった。

 

その日は午後からお休みだったので、友人の所へ行った。

友人といろんな話をしたけど、一番怒っていたはずの定時までの話については言えなかった。

だって自分に非があることはもう分かってたから。

きっと友人はそれに賛同してくれないだろうと思った。

 

その帰り道、いつものように音楽を聴きながら運転していたら、ドリカムの『 あはは 』が流れた…

振り返るのはやめて 今の自分をみてみよう〜

振り返るのはやめて 今の自分を信じよう〜

という歌詞が胸に刺さった。

そして、涙が止まらなかった。

 

この感情をしっかりと見よう、向き合おう、と思った。

 

何が嫌だ? 

何に怒っている?

この感情はどこからきている?

この涙はどうして出てきたの?

 

運転は瞑想に近い気がする。

 

すると、この感情は以前にも経験したことのある出来事と同じだと気がついた。

 

高校2年の時のスポーツ大会。

私は試合がうまくいかない事にイライラしていた。

その時、相手チームのクラスの子が応援する声が聞こえ、私はその子に対して「 うるさい!」 と怒鳴っていた。

普段、怒りの感情を出さない自分が怒鳴ったことにまず驚いた。

そして、その子はただ応援していただけだったのに、怒鳴ってしまったことが恥ずかしくなった。

その後気まずくなり話しかける事もできなくて、結局その子には謝ることができないまま卒業した。

その事をずっと後悔してきた。

 

Tさんにしてしまった時の感情はその時のものと同じだった。

 

Tさんは何も悪くない。

あの時のTさんが えっ?信じられない! という表情をしたので、多分怒っていただろうと思う。

高校生の時、あの後にどうしてあの子に謝らなかったんだろう…と、ひどく後悔した気持ちが蘇った。

 

翌朝、Tさんに真っ先に謝った。自分の気持ちに正直に。

するとTさんは「 いえいえ、全然そんなの気がつきませんでしたよー!」と答えたんだけど、その言い方が言葉だけでなく、雰囲気から私に対して 大丈夫ですよ と言ってくれてるような感じが伝わってきた。

その日からTさんの私への態度が少し変わった。

少しずつ、心を開いてくれるようになったのが伝わった。

 

 

私は、自分が悪いと思っても素直に認めることができないところがある。

誰かを悪者にして、自分をどうにか正当化しようとするところがある。

自分の身勝手でわがままで傲慢なところがあるのを、今まで認められずに、そういう面があるのを見ないふりをしてきた。

 

今回の出来事で、自分の嫌なところ、認めようとしなかったところをしっかりと炙り出されてしまった。

こういう部分が私にはある、としっかり見せつけられた。

 

これも私。

こんな自分がいてもいい。

そう思ったら、何だか気が楽になった!

 

自分の嫌なところを受け入れたら、他人の嫌なところも気にならなくなってきた。

気持ち次第で捉え方が全く変わる。