犠牲者の意識?
昨日のブログを書いてから、なんかどうもスッキリしない…
たしかに、親の言う事に従って生きてきたけど、何から何まで全て従ってきたわけではない。
ある程度の自分の意思はあり、意見はあり、それを親にも伝えてきた。
その時その時の自分なりに精一杯に親にも思った事を伝えてきた。
大きなことは叶わなかった事もあるけど、全部が全部を否定された訳でもない。
それを全部親のせいにする、というのも何だか変な話のような気がしてきた。
その考え方こそ、人の ( 親の ) せいにしている気がしてならない。
それこそ、自分の人生に責任を持っていないような気がして。
昨日、自分でワークしていた時に、ふと【 犠牲者 】という言葉が浮かんだ。
昨日はその言葉にあまり意識が回らなかったんだけど、今朝からどうもこの 犠牲者 という言葉が気になって気になって…
とはいえ、今の自分で思いつくのは、親の離婚の事、くらいかなぁ…?
選択の余地はなく自分の意思とは無関係に家族が引き離されたこと、どちらかの親を選ばなければならない究極の選択…
それで 犠牲者の意識 が出てるのかなぁ…?
それぞれの親への怒りの感情が出てきたことで、自分の中で区切りが出来たと思っていたけど、その事について自分を犠牲者だと思っているってこと?
うーん…
しかし、今の私にはここまでしか分からない。
もっと深めていくと、もしかしたら分かるのかもしれないけど…
物事がそんなにすぐに解決する訳ではない。
ことさら感情に至っては、一つの事象にいろんな感情が絡み合っていることもあるだろうし。
だから全ての感情についてすぐに解決、手放せる、なんて事はないよなぁ…
だって今まで自分のずっとずっと深いところに浮き上がらないようにひっそりと隠していたものなんだから。
そんなすぐには無理だよね。
これはまた宿題。