人からの評価が怖い
昨日のブログで、親や人からどう思われているのかが自分にとってはとても重要で、人からの評価が怖い、ということを書いた。
そして、あれからまたいろいろ考えた。
親や人からの評価、つまりは 親からの評価が怖い という事がやはり根にある。
親の意見が正しい、絶対だ、という家庭で育ったので、何かの選択を求められた時に、自分のその答えが正しいのかどうか、それが分からなくて判断できない。
今までの正解は親の意見、だったから。
親とは違う意見だとそれを否定されてきたから。
看護学校を卒業して就職する時、家から病院までは遠いし夜勤もあるからと病院の近くの寮に入ろうと思い、親に相談した。
父親の答えは、ノー。
理由は、一人暮らしさせるための家具や家電を用意するお金がない、だった。
そして、仕事をしていく中でやっぱり寮に入った方がいいと思えばそうすればいい、と。
そう言われ、まずは自宅から通うしかなかった。
慣れない夜勤や日々の忙しさに、どんどん一人暮らしへの気持ちは薄れていった。
それどころか、「 ほら、やっぱり一人暮らししなくて良かっただろう? お前には無理だった 」とダメ押しされ、私の選択は間違っていたと植え付けられた。
このような事が続いていくうちに、私は自分で選択することが怖くなった。
自分で決めても、これでいいのか?と迷い、人から違う意見を言われると、やっぱりそっちの方が正しいのかも…と自信がなくなる。
そんな事をやっているうちに、どんどん自分ひとりでは何もできないと思い込んでいった。
【 親の意見を聞いていれば正しい、安心だ、間違いはない 】
いつしかそんな風にしか考えられなくなって、どんどん自分は無くなっていった…
それから、父親からこんな事も言われた。
「 お前は人の意見にすぐ流されるんだから、ちゃんと考えなくちゃダメだぞ 」と。
これを何度も何度も言われていた。
今思えば、( あなたががんじがらめに縛って私の意見を言えなくしておいて、人の意見に流されるな )、とは随分勝手な言い分だ。
私はもうどうしたら良いのか、分からなくなってしまった。
なんて苦しかったことだろう…
これじゃ、人の意見に流されるのは当たり前。
だって私が意見を言うことは許されず、言っても否定されてきたから自分の意見が出てくる訳ない。
今まで親に文句も言わずによく頑張ってきたね、わたし。
つい先日のこと。
先生から 「 正解は自分で決めるんだよ! 誰かが判断するわけじゃないんだから 」と言われたばかりだった。
あと、からっぽのエッセンス事件の時には 「 からっぽの中身を自分で満たしていきなさいってメッセージなんだよ 」とも。
これから一つ一つ自分自身で取捨選択し、自分自身で決定して、からっぽの中身を満たしていくんだ。
どんな風に満たしていくのかもそれは自分次第ということなんだろう。
そこに繋がった。