料理から遠ざかった理由
昨日のブログを書いてから、今日はずっと 私はいつから料理をしなくなったんだっけ…? と考えていた。
子供の頃は料理を作ることや台所に立つことが多かった。
それは母子家庭でたくさんお手伝いをしていたから。
でも、それだけではなくて、私は料理を作ったりお菓子を作ったりするのが好きだった。
小学校5〜6年の時、漫画本の後ろに載っていたシュークリームの作り方の漫画 ( 手順が漫画で描かれている ) を見て、シュークリームを作ったことがあった。
当時、オーブンも無くてトースターで頑張って作ったシュー皮はやっぱり全然膨らまなくて落ち込んだけど、カスタードクリームは初めてにしては美味しくできて、母も姉も おいしいよ! と食べてくれた。
その体験がうれしくて、たびたびお菓子を作った。
今まで忘れていたけど、久しぶりにその事を思い出した。
それなのに、なぜ今は全くしなくなってしまったんだろう…?
この疑問は少し前から自分でもずっと考えていたんだけど、全然答えが見つからなかった。
だって、私が作った料理やお菓子を食べて、家族の誰かにマズイと言われたとか、批判されたとか、そんな出来事は全く覚えがなかったから。
それなのに何でしなくなったんだろう…?
それはいつからだろう…?
小学生の頃は、土曜日のお昼ご飯は、母親が仕事に出ていたから自分たちで作ったりしていたし、大きくなっても母親の手伝いでよく台所に立っていた。
夏休みなんかは、母親が仕事から帰ってくるまでにご飯をしかけたりお味噌汁を作ったりしていた。
考えてみると、やらなくなったのは不倫した頃からかも…
親への後ろめたさや罪悪感から、親を避けていき、どんどん会話が減った。
そして、そんな事を続けている自分をどんどん嫌いになった。
そうして親との間に大きな溝を感じた。
まぁ、私から遠ざかっていったんだけど…
でもこれじゃダメだと、その人と別れた。
そうして、長い間溝ができてた親との関係も徐々に良くなり、2〜3年前からは以前のような親子に戻った。
なのに、料理やお菓子を作ろうという意欲がなかなか出てこない。
というか、料理を作れる自信がない。
そんなものは作っていかなくちゃ上手くならないし、そうしなければ自信もつくはずはない。
それは分かってるんだけど…
私は料理をするのが怖いんだ、と思う。
上手くできなかったらどうしよう?
おいしくなかったらどうしよう?
喜んでもらえなかったらどうしよう?
そんなことばかりが先に立って、そうやって自分を追い込んで、どんどん出来なくなってしまった。
私が料理を作るきっかけになったのは、母の役に立ちたいから、だった。
忙しく働く母を楽させてあげたい、母の喜ぶ顔が見たい、母にありがとうって言ってもらいたい…
そんな気持ちで一生懸命頑張っていた。
上手下手は関係なく、いつも母はありがとうと嬉しそうに言ってくれた。
それが嬉しかったからそれだけで良かった。
再婚した父は、以前板前だった事もありとても料理が上手な人だ。
母が風邪で寝込んだ時は、普通なら娘が食事を作るだろうけど、父がすすんで作った。
( これがまたおいしかった… )
そうやって私が料理を作る機会が少なくなっていった。
といっても、自分がやりたければやればよかったのだけど、私は遠ざかった。
台所に自分の居場所が無い、と思った。
いや、台所だけではなくて、自分の居場所がどんどん無くなっていった、と感じていったんだ。
ずっと忘れていたけど、いろいろ考えていたら思い出した!
それは、母が寝込んだ時に私が食事の支度をしようとした時のことだった。
父から「 ○○が作るよりお父さんが作った方がおいしいから作るわ 」と言われた。
せっかくやろうとしていたのに、その気持ちを踏みにじられた…
それから、私は出来なくなった。
だって、私が作るより父が作った方がおいしいから。
手早くおいしく作れる父の方が適している。
父にはもちろん悪気はない。
悪気はないけど、無意識に人を傷つける。
この事で、わたしはダメな烙印を押されてしまい、女性としてのプライドもズタズタにされたようだった。
[ 女なのに男の父よりも料理ができない自分 ]
たとえ他の家事が出来ても、このことは私に女としての自信を失くさせた。
ことあるごとに、どうせ私は料理が出来ないから…と口には出さないけど ( 恥ずかしくて口に出せない、の方が強かった ) 心の中でずっと思ってた。
女だから料理が上手く出来なくてはならない、が強かったんだろう。
そうやって自分でダメ人間の烙印を押し続けていたんだ。
だから、ずっと料理するのを避けてきた。
そこから逃げていれば、ずっと母が作ってくれるし、そのことを考えなくて済む。
でも、やっぱりこのままではダメだ。
自分と逃げずに向き合って乗り越えたい。
また以前の私のように、怖がらずに料理を楽しめるようになりたい。