2021年を振り返って
今年も残すところあと1日。
あっという間に過ぎていったなぁ…というのが正直な感想。
今年はどんな一年だったかというと、
『自分とガッツリ向き合った一年』
だったかな。
12月の初めに、たまたま書道の特別稽古に参加でき、そのお題が
あなたの今年一年を表す漢字一字
だった。
2週間前くらいにそのお題を聞いてから、ずっと考えていたんだけど、最終的に 『 観 』 に決めた。
『 観 』という字は、ただ見るというだけではなく、物事をじっくり考え本質を理解する、という意味がある。
今年一年はまさしく内観の一年だったから、ピッタリだと思った。
自分の認めたくない・嫌な部分をたくさん見せられる出来事が起こり、それを一つずつ受け入れていった。
自分の良いところだけではなく、悪いところ ( 勝手に自分ではこの部分が悪いと思ってるけど、他人から見ればそうでもないかもしれない ) も含めて自分、ってことを認めるのがなかなか難しかった。
それから今年はたくさんの方との出会いがあった。
普通に生活していたらなかなか出会わなさそうな方だったりシチュエーションだったり…ほんとにさまざま。
そんな素晴らしい出会いは、きっとわたしが変化してきたからだと思う。
自分が変われば人も変わる。
自分が変われば出会う人も変わる。
自分が変われば会わなくなる人が出てくる。
世間的にはコロナで制限がかかりストレスを溜める人が多かったみたいだけど、
わたしにとってはこれまでとたいして変わらない日常を過ごし、
いや今までよりさらに自分を内観できたから、どっちかって言うと内面的にはめちゃくちゃアクティブだったかも⁈
そんな2021年もあと僅か
「 静 」の一年から
「 動 」の一年に変わりそうな予感…
また新たなステップへ!
からだはとても正直だ
身体はとても正直だ
と、いうのは本当です。
フラワーエッセンスを学んで
こころとからだが繋がっていることを知り、
身体に現れる症状が 実は心 ( 感情 ) からのサインだ という事を知った。
緊張するとお腹が痛くなる
悩んだり辛いことがあると胃が痛くなる、キリキリする
などは誰もが知っていることだけれど、
多くの病気や症状が感情と繋がっており、その感情をみて手放すことで症状が改善する・治る
ということは、あまり知られていない。
大抵の方は、病気や症状が出現したら薬を求めて病院に行くのが当たり前になっているから。
もちろん私もその一人だった。
私はフラワーエッセンスを学んでからというもの、身体に現れる症状が激しくなった 笑
いや、本当に激しくなったのか?
もしくは、これまでも症状は現れていたけど、そういう意識で症状を見てなかったから気づけなかっただけなのか?
よく分からないけど、
とにかくすぐに身体に現れる。
あー、思えば子供の頃から便秘だなぁ…
思ったことが言えない、我慢して思ったように吐き出せない・発散できない子供だった。
つまり、そういうこと。
これまでは、自分は そういう体質 という言葉だけで片づけていたことが、実は身体からのサインだった、ということ。
自分でこういう人だから ( 私は便秘、頭痛持ち) と勝手に決めつけ、深く考えたりすることもないからその状態を特に疑問にも思わなかった。
だから対症療法として薬を飲んだり時には食事や運動に気をつけたり…そんなくらいだった。
講座を学んで初めてリトリートで行った上高地で、初めて土地のパワーにやられた 笑
頭痛と吐き気、胃もたれの症状の中、なんとか明神池まで辿り着くことができた。
めちゃくちゃ辛かったけれど、何だか普通の体調不良とは違う感覚があった。
講座の先生が一緒だったという安心感もとても大きかった。
それからというもの、神社での頭痛はちょくちょく現れ、
初めての土地では、頭痛と胃もたれが必須!みたいになった。
あれは本当にもう散々だった…笑
群馬県に入った途端に頭痛と胃もたれが出現し、水沢うどんと立派な舞茸の天ぷらはほぼ食べられず…
その後2泊3日ほとんど食事が摂れずにヘロヘロになって帰宅
なんだけど、帰りの新横浜駅の辺りで体調がかなり回復したという…笑
その土地から離れるといいみたい。
それから、日常においても様々な症状は現れる。
先週は急に頭痛と胃もたれが出現し、食べられなくなった。
熱はなく風邪症状もなく身体は割と元気だったが、とにかく食べたくない。
初日は温かいお茶を飲むだけで、その翌日ようやくお粥が食べられるようになったけれど、その後一週間は雑炊しか食べられなかった。
この胃もたれはなんだろう?
胃は第3チャクラ 自己卑下や無価値観…
思い当たることがあった。
胃もたれが出現する前日、モニターさんと話して( 現在インストラクター講座を受講しているため ) その方のパワーに圧倒されていた。
感覚的にいろいろ分かってる人だったから、「 私なんて…」と、自分をどんどん落としてしまったようだ。
その時は気がつかなかったけれど、後から あ〜 きっとそうだな、って思った。
その話を先生にしていたら、そっちじゃなくて…
モニターさんは、私と同じく看護師だ。
大きな病院で働き、たくさんの経験がある
と、こっちの方だったみたい…
今のクリニックで十分頑張ってきたのに、大きな病院で働いている人への劣等感、無価値観。
自分が選択して夜勤のないクリニックに勤めたはずなのに、そこにいつまでもこだわっている。
クリニックで働く看護師は価値がないのか?
そんな事はないのに、いざ自分に置き換えると 私なんて… が出てきてしまう。
昔から憧れていた看護師という枠を自分が勝手に作り出し、自分を当てはめて、そこから外れてしまった自分を認めない自分…
まだ枠を作り、枠に縛られていた。
まだやっていたのかぁ。
その後、そこからもう一つの気づきが。
母が心配するから今まで結構無理して食べることが多かった。
あまり食べたくなくても心配かけたくなくてお腹いっぱい食べてしまう。
そう。母は私がたくさんご飯を食べるととてもうれしそうだ。
なので、少しでも食が減るとすぐに心配する。
それが嫌で無理していた。
きっと、自分に正直になる、と決めたのに いつまでも他人軸でそうやっている自分に身体が教えてくれたのかな、って思う。
先週一週間食べられなかったおかげで、自分の症状を母に正直に言えるようになったし、食事量のことで母の目を気にしなくていいんだ、と思えるようになった。
まだまだ無意識下で、母に気を遣っていることがあるんだな、と気がついた。
私が自分で気づけないからきっと身体が身をもって教えてくれたんだなぁ…
様々な症状という形で教えてくれる身体からのサイン
これからも見逃さないように、しっかりと受け止めていきたい。
人のエネルギーを感じることでクリアリングの大切さを改めて実感する
今年の夏、アクセスバーズのプラクティショナーという資格を得た。
アクセスバーズとは、簡単に言うと 脳のクリアリング である。
脳のデトックス や 脳の断捨離 とも表現されるけど、別に記憶が消されるとかではなくて、頭の32ヶ所のポイントに触れてエネルギーを流す・通すことで思考がクリアになり、頭がスッキリしたり気持ちが楽になったり、夜眠れるようになったり…人によって様々だけど、そういう効果が得られる。
アクセスバーズは世界中どこでも、1日講習を受けた人なら誰でも取れる資格で、小さな子供でもできるらしい。
わたしは、とあるサロンでその講習を受けた。その後、ギフレシ会 (というプラクティショナー同士がアクセスバーズをやりっこする会 ) に3回来て、と言われたので2回は行ったのだけど、そのサロンに行く度にその場やそこに集う人たちとのエネルギーや雰囲気が合わず居心地が悪くなったので、3回目は行くことが出来なかった。
それからというもの、アクセスバーズの練習はしたいけど、そのサロンに行けないから練習ができず…という状態だった。
でも、やっぱりもっと練習したいという気持ちが強くなり、ヨガの先生にお願いして練習させて頂く機会を得た。
それが昨日。
ヨガに来ていた生徒さんがちょうどアクセスバーズに興味があるからやって欲しい、と。
なので、ひと息ついてから早速始めた。
頭に触れるとすぐにエネルギーが流れ、指がジンジン感じる。
まだ習得できていない自分の手技を、チャートを確認しながら思い出しつつ、頭に皮膚に触れていく。
しばらくすると気持ち良さそうにスースー寝息を立て、最後まで眠っていた。
終了し起こすと、「 途中から気持ちよくて眠ってたのか瞑想状態みたいになってた。目の奥がスッキリした 」との感想。
その後、もうひとり。
アクセスバーズという言葉すら今まで聞いたことがないという方が興味を持ってくださり、練習させて頂くことに。
えー? なに、なに? と興味津々…
わたしの指が触れた部分がビリビリした事、そういう感覚が初めてだったようで、ビックリしっぱなしだった。
この方は思考が強く、常にいろいろ頭で考えてしまう、夢の中でも気になることが毎日出てきて朝起きても疲れている、と。
アクセスバーズ後は、「 なんか頭がスッキリして、今晩はよく眠れそう 」と言っていた。
頭や皮膚に触れてエネルギーを流すことで、瞑想のような気持ち良い状態を感じてもらえたことがとても嬉しかった。
アクセスバーズ自体、何か神聖なことのように感じ、宇宙と繋がっているような感覚になった。
そして、手技を行うわたしも癒された。
人に触れること、触れられること
実は今まであまり得意ではなかった。
しかし、昨日練習させて頂いた方から、「 初めてだったから ○○さん(わたし) にやってもらえて良かった 」と言って頂き、とっても嬉しかった。
講習の時、エネルギーを流すパイプ役なだけだから自分がどんな状態であるかは関係ない、と説明された。
でも果たしてそうかな…?
人が人に触れエネルギーを流すということは、そこでエネルギー交換が行われているわけだから、自分ならエネルギーや気が悪い人には施術してもらいたくない、と未熟ながらもそう思った。
その講師の方を否定している訳ではなくて、人それぞれの考え方があるからもちろんそれで良い。
けれど、わたしは自分の直感を信じたいと思った。
昨日練習させて頂いた1人目の方から、「 自分にとっては施術してもらう方がどんな方なのかがとても重要で、だからこそ今までやってもらうことが出来なかった 」という言葉を頂き、
うれしいと同時に、身が引き締まる思いもした。
だからこそ、自分自身のからだ、思考、感情、オーラのクリアリングが大切なんだ、と改めて実感した。
アクセスバーズやリフレクソロジーのように人に触れる施術だけでなく、触れなくても人と関わること自体がエネルギー交換だから、できるだけ自分自身をクリアにし、それを維持していかなければ、と思った。
押し寄せる不安感、いつか乗り越えたいこと
今日、仕事中にとてつもない不安が押し寄せてきた。
きっかけは職場の事務さんの態度だったんだけど…
その事務さん、これまでにも何度もブログに出てきた人で、気に入らないことがあったり機嫌が悪い時にわたしを無視してくる。
以前はそれが私のせいなのか?とか何かしたのかな?とか原因が自分にあるんじゃないか…と悩んだんだけど、
最近では あ〜またやってるよ…笑 と思うくらいになっていた。
で、今日また急に無視してきて
それはいいんだけど、
そしたら先日フラワーエッセンスの先生に投げかけられた言葉が頭をよぎった。
(実の) お父さんに会ってみたら?
そんなこと、考えたこともなかった。
なぜ?
怖いから。
何が怖い?
わたしのことを拒否するんじゃないか、
向こうがどんな態度を取ってくるか分からないから不安で不安でたまらない…
わたしが実の父に対し抱えているこの感情があるから、
相手の反応が怖い
相手に拒否されるんじゃないか
と思ってしまうのだ、と。
その感情を浮上させるために事務さんがわたしに働きかけているのか…
と以前妙に納得したんだけど、、、
今日はどんどんどんどん不安に襲われて泣きそうになってきた。
でも仕事中だったから、なんとか気持ちを押し込めた。
きっと今まで気づいてなかったけれど、この感情が浮上しては押し込めて…の繰り返しをしていたんだな、とそう思った。
そっかぁ…
いつかは向き合わないといけない案件なのか…
なんとか向き合わずに済まないかな…と思っていたんだけど。
きっと、そこと向き合わない限り、わたしのこの漠然とした不安感は消えないのだろう。
この事を先生から投げかけられてから頭の片隅にずっと置いてるんだけど、
まだ勇気が出ない、、、
まだ母にも実父のことをろくに聞けないでいるから、会うとか会わないとかそんな話ももちろんできる訳でもなくて。
さらには、そんな事を母に言ったら、母はどんな気持ちになるんだろう…?とか他人軸で考えちゃう癖まで出てきちゃって。
まだまだそこに辿り着くまでには時間がかかるかもしれないけれど、なんとかいつか乗り越えられるように
自分が今できること、今やるべきことを一つ一つやっていこうと思う。
めちゃくちゃ不安が大きすぎて、その頃のわたしの事も全く思い出せないんだけど、いつかその時のインチャを癒していけたらな…
今日はかなり不安な気持ちを書いた。
解決したことや気づいたことだけじゃなくて、現在進行形の不安な状態を書くことも必要だな、って思ったから。
どんな状態であれ、わたしだから。
つながる縁と離れる縁
以前のわたしは意見も意識も行動もなるべく相手に合わせて生きていた。
本当はこうしたいけど、相手がそう言うならまぁそっちでいいか、って。
しかし、フラワーエッセンスとの出会いから、自分と向き合い、本当の自分とは?を意識し内観を深めていくことで、合う人と合わない人が出てきた。
合う人・合わない人というのは、実際に会う・会わないのもそうだし、SNSや連絡さえも取らなくなるという意味でもある。
以前講座の先生から、自分が変われば今まで合ってた人と合わなくなるよ、と言われたことがあって、へぇそうなんだぁ〜!くらいにしか思ってなかったんだけど、、
実際自分が変化してくると、昔の友人に会ってもなんだかしっくりこなかったり、なんか違和感を感じるようになってきた。
こういうことなのか…
昨年から風の時代に入り、二極化すると言われているから、その人その人の進む方向により、繋がる人とは繋がっていくだろうし、繋がらない人は繋がらなくなる。交わらなくなる。
その意味がわかってきた。
最近、ご縁があって繋がった人たちは、それぞれが自分の信念を持って好きなことを仕事にしていたり趣味を楽しんでいる。
そういう人と一緒にいるのは居心地が良いし、何よりわたし自身が楽しい!
わたしは自分を信じて進んでいく。
自分の直感に従って進む。
そして、そこからまたたくさん繋がるご縁があるのでしょう。
自分の好きを貫く
グランマ・モーゼス展が名古屋市美術館で開催中だったので、先日行ってきた。
私は今回の展示でグランマモーゼスを初めて知ったのだけど、アメリカでは有名な方らしく、ドキュメンタリー映画になっていたり、TIME誌の表紙を飾ったこともあるのだそう。
そもそも、何故わざわざ『 グランマ 』と付くのか?
それは、70代から本格的に絵を描き始めて、80歳で初個展をしたからだそうだ。
その年齢から絵を描くなんて、すごい!
グランマモーゼスの絵は自分が住む村のお祭りや結婚式などのイベントはもちろん、そこに暮らす人々の日常や風景をたくさん描いている。
定点観察のように同じ場所から見た景色を夏と冬というように2バージョンでよく描いていた。
グランマモーゼスの絵は、とても素朴。
一目見て、うわぁ!スゴイ!!と感動する上手さは無いけれど、なんか味があって良い!
小学生が描けてしまいそうなタッチの絵だ。
でも、なんかカワイイ…
言ってしまうと 下手可愛い! のだ。
きっと絵を描くことがとても好きなんだろうな、と思う。
絵の中には、その当時生きた人々の暮らしがしっかりと刻まれている。
冬の厳しさの中で見つけた蝋燭作りの楽しみとか、夏に子供たちが皆んなで遊ぶ姿、鶏を追いかける子供…
ささやかな日常が記録のように描かれている。
モーゼスは後に、「 失われていく文化の中で自分の絵はもしかしたら記録として必要なんじゃないかと思った 」と言っている。
モーゼスの絵は当時の批評家からは、素人の絵だ、と批判されてきた。
あるアマチュアの評論家がモーゼスの絵を気に入り、個展を開くのに尽力したそうだ。
モーゼスは人から評価されたり褒められたくて絵を描いていた訳ではない。
描いているうちに、やがてそれが自分の使命のように思うようになった。
でも、その根底にあるのは 描くことが好き ということ。
彼女はその"好き"をずっと続けていただけ。
自分の"好き"を貫いた結果、その下手可愛いが彼女の"個性"となって、それを好きな人々が現れ、やがて評価された。
私も自分の個性って何だろう?とずっと探してきたけど、それって探すものじゃなくて、自分はこれが好きだ、という気持ちを貫いていけば自然とそれが個性となるのか!と教えられた。
本当に良いタイミングで良い展示を観られてよかった。
お盆休み中の良い充電になった。
そうだった、逃げてたわ…
最近、自分ってなんなんだろう…って分からなくなってた。
いや、前から《これが自分です!》って言えるものが無いからそれを探す?見つける?ために自分自身と向き合ってきてるんだけど、何かそれもよく分からなくなってきていた。
そういう時、もっと自分に向き合って見つめていかないといけない所なんだけど、見たくなくなっちゃってたんだな。
ここのところ、以前から興味があった星読みとタロットリーディングがYouTubeでUPされてたので、それをよく観ていた。
星読みは自分を知るのにとても面白い。
自分の特性とか行動・考え方の癖みたいなものが星座からの影響を受けている、っていうのが分かってくると、なるほど〜!と腑に落ちて面白い。
太陽星座だけでなく、もっといろんな星の動きとかを学んで知っていきたいと思った。
ただ、自分が今向き合わないといけない事をほったらかしておいて、星読みにそこに答えを求めていた自分がいたことに気がついた。
星読みからこんな自分がいるんだな〜、って理解することはいいけど、それだけではいけない。
自分と向き合い、内面をしっかり見てこそ、星読みも生きてくるんだろう。
答えをすぐに外に求める、自分と向き合うことから逃げる。
以前からの自分の癖。
そこに気がついた。
それじゃあ、それを反省するんじゃなくて、じゃあ次はどうするの?って。
向き合います!
やるっきゃない!